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シオ!塩!しお💗うるさいおばさんができあがるまでのハナシ 其の弍

(2024年4月19日 “其の壱“から続く)不健康な身体なりに、子育てを始めると、母乳には何がいいとか(甘いものを食べ過ぎたあとは赤ちゃんの母乳への反応が悪くなることで、砂糖・甘味料の害を感じるとか)離乳食やおやつ、自分が口にするものや、我が子に食べさせるものやら、改めて考える機会がうまれます。楽をすれば市販のものも多々ありますがあまり気が進まず、できるだけ、簡単でも作りました。こどもの成長とともに、(台所ばかりに立ってもいられないなぁ、と思い)食がおざなりになることもありましたが、いそがしい、を理由に、適当な食事を過度にとってた結果と思える、こどもの「生活習慣病健診」の結果は、改めて「食べ物が身体をつくる」を見直す大きなきっかけとなりました。学校の栄養士の先生、保健の先生と三者で面談して、毎日の食事を事細かに記録して経過をみる、ということも経験しました。(経過観察が必要、、、とチェックを受けたのでした 汗)記録するからちゃんとする、というわけでもなく、日常をみてもらうようにしたのですが、、、、結果は「お手本のような食事で、何のモンダイもない」えーー!えーーーーー!なんか言うてくれーーー。これ以上どぉしたらええんかしら。。。こんな状況なのに、むしろ誉めていただく始末。適当だと思ってた我が家の食事が、栄養指導の見地からはモンダイない、らしい。(当時、冷凍食品やインスタントものは、ほとんど使わず、でも“電子レンジ”はわりと使っていたのですが)学校からは、休み時間の過ごし方もそっと見守ったけど、積極的に外で遊んでるし、運動不足でもありません、、、との見解。強いていうなら量の問題なのかな。たくさん食べたくなるということは、“満たされていない”何かがあるのかな、と思うしかありません。←ココは確かに間違いなくあったのでしょう、今思えば。素材かなぁ。。。考えてもしかたないからやりたいように、食べたいように、少しでも素材の質と調理の仕方を意識してみよかしら。もちろん経済的な限界もあり、気になることしかできないので、ずっと探して彷徨っていた「塩」を、当時友人がおすすめしていたものに換えました。美味しい!そしてどうやら身体にも良さそうだと知ると、しっかり使えるしただただ塩っからいと思うつらさから、抜け出しました。このお塩も良かったのですが、日常ふんだんに使うには、正直高価なものでもありました。ただ、この時点で、○本来の塩は命の源であって、海からのエネルギーを人の身体にいただくもののはず○美味しい塩は、旨みを増したり、甘味も感じる○いいお塩は、身体をあたためる気がする(だから夏野菜には塩をふってバランスとるのか、、、とか)なんだか感じたり体感したり、があったのです。引き続き、「美味しく身体によいお塩」を探し続けていて出会ったのが、今自分でラベルを冠し販売している 『生塩』です。

完全天日塩 リニューアルのお知らせ

命の源🌏 海をギュッと結晶化した完全天日塩古来より「塩」はつくり続けられてきましたが、海水を結晶化していく手法は、数々あります。なかでも最も時間がかかり、かつ、海をそのままに凝縮できるのは、丁寧に管理しながら自然の力に委ねただひたすらに待つ、という方法。大地も森も川も海もその流れも美しい海域で、ミネラル豊富な海水をくみあげ、太陽・月と風、大地の力をいただき、結晶化を待ちます。非加熱で自然に任せてできた結晶をきれいに挽いたものが、和〜nodoka〜の完全天日塩。つぶつぶの仕上がりなので、これまで『つぶ塩』と呼んできましたが、この度、お名前を変えることといたしました。完全天日塩 瑠璃のつぶ何がどう変わる、でもないのですが、なんだかお召し替えして、お塩がよろこんでいるように、、、、(ほんとかな?!)わたしは、、、感じています。結晶化する時間は、厳密にいうと度々異なりますし、気象条件によっては、見た目の色味が異なることもあります。最近は別に季節の表記シールを手書きで貼っていたのですが、ラベル変更に伴い、小さく、“春 夏 秋”の表記に ○をつけてお出しすることにします。自然のエネルギーをふんだんにいただいたこのお塩は、美味しさ、お味の深さはもちろんのこと、身体にも心にもみえないなにかも、素晴らしいもので。。。塩白湯にして飲んだりお料理に、追い塩にパラパラ使ったりお守りとして持ち歩いたり祓い清めにつかったり様々な用途で、ありがたーくおいしーく笑顔になれるつぶつぶ、なのです。(おかげさまで、近年びっくりするくらい、たくさんのお求めをいただいております。加えて、読みが甘かったのか、、、予定よりも早く、現行価格のものが終わってしまいそうです。申し訳ないのですが、少し欠品期間が発生します。。。)リニューアルに伴い、50gサイズは80gへサイズアップします。全体的に価格も変更となります。✴︎お守りサイズ(15g入り)370円✴︎80g入り        880円✴︎200g入り(お徳用)    1800円時々、もっと大きいサイズはありませんか?のお問い合わせもいただきますが、(水を帯びて湿っぽくならない)良い状態で使い切っていただきたく、このお塩については200gを最大パッケージとしております。ご了承ください。大事なことを忘れてました。価格変更は 夏至6月21日より行います。ご理解いただけましたら幸いです。最後に、新しいラベルでのお姿公開♬

“しお!シオ!しお💗“うるさいおばさんができあがるまでのハナシ 其の壱

むかーしむかし、あるところに、ひいじいちゃん・ひいばあちゃんと暮らす、昭和のこどもがおりました。ひいじいちゃんは、しゃきっと体格のいいいかにも明治の剛毅なおじいちゃん。(頑健な様子をひいばあちゃんは「じいちゃんの身体はドイツ製やけん!」と言ってたそうです。どういうこっちゃw)ひいばあちゃんは、お料理上手。明治育ちのばあちゃんは、読み書きはあまりできず、書くのはカタカナ少しと数字くらい。メモは覚えたら捨てる、いさぎよい人でした。頭の中にどれほどのレシピが入っていたのでしょう。とにかく何でも素材からつくってしまう人でした。おかげで、じいちゃんはばあちゃんの料理がおそらく大好きで、昭和のこどもは、ばあちゃんの傍でいろんな台所仕事を手伝って、育ちました。三つ子の魂百まで、とは言いますがこの頃の記憶や経験は、今も脳裏に焼きついています。(ばあちゃんの頭の中にあるレシピがメモに残っていたなら、どんな料理研究家にも負けないんじゃないかと、私は今も思ってます)歯磨きも“塩”でした。かわいいいちご味の歯磨き粉も買ってもらいましたが、それは塩壺の横にいつまでもありw決まって、塩壺からひとつまみの塩を歯ブラシにとり、ばあちゃんと歯磨きして、床につくのが日課でした。あの頃の塩は、からすぎなかったのです。不思議です。昭和の娘は小学生頃から、ひいじいちゃん・ひいばあちゃんの家ではなく、棟続きの父母と弟と寝起きし、それでも日中は可能な限りひいばあちゃんと過ごすようになりました。いつしかいちご味の歯磨き粉を使い、なぜならその頃から、塩みがきは辛くてツライと思うようになったのでした。今になって思えば、買い求める“塩”が変わったのかもしれません。※塩が専売化されてしばらく、の時代と一致しますね。そういうことなのか、記憶はありませんが。ひいじいちゃんは、「お醤油」の卸と小売の店を営んでいました。ひいじいちゃんがこの世を去って、お醤油屋さんを畳んだ後、お得意先だった地域の飲食店の評判が下がる声を口々にきいて、[じいちゃんのお醤油じゃなくなったもんな、、、]と思ってました。うちのご飯も、在庫の醤油を使い尽くした頃から、母が手頃なお醤油で何とかやりくりしていたのを覚えています。母も料理上手ですが、お醤油がかわると同じ人がつくっても料理の味ってかわるんかな、、、とうっすら思ったものでした。ひいばあちゃんは、毎年、家族親戚数家族が一年食べるお味噌を、大量に仕込んでいました。造り酒屋さんに麹菌を買いにいき(意味わからずついて行ってた)、大量の大豆をつぶすためにミンチ機みたいなのを借りにいき、材料諸々用意して、道具もせっせと準備して、大量の糀を仕込むところから、わけもわからず言われるままに手伝ってました。残念ながら、糀をおこす行程については細かな記憶がありませんが、もろぶたが几帳面に毛布やおふとん着せられて、土間の台所が毎年不思議な景色だったことは、忘れられぬ記憶です。ひいばあちゃんがこの世を去って数年後、“ばあちゃんの味噌”がついに底をつき、それからが、さあたいへん。市販の味噌屋さんには申し訳ないけども、まぁ味噌が口に合わず、“慣れるまで(我慢できるようになるまで)“罰ゲームの毎日な気分でした。塩、味噌、醤油。いやや、と思うものが、この大切な三点であるならば、まぁご飯の味が、、、イマイチつらい、、、。母もまた、同じ人(ひいばあちゃんは母の祖母)に育てられた経緯があり、私以上にばあちゃんの暮らしが深く染み込んでいるのですが、時代の変化とともに手に入るようになった“便利なもの”も食に適度に取り入れ、得意な料理を母の味に変化させていったのでした。私は更に、ひいばあちゃんから「こういうのは“毒”やから食べたらいかん」と教わってたものを、進学で家を出た後に“もの珍しさで”食べまくり、ものの見事に健康を害し、アレルギーが出たり、(風邪薬や痛み止めも蕁麻疹出るので飲めない)病気したりの、不健康女子になる始末。やがて、食べるもので損なった身体は、食べるもので治すしかないんかな、、、と思い始めたのでした。

2023年年の瀬に

2023年。和〜nodoka〜もまた、しあわせに年を重ねさせていただきました。身体にも心にも美味しく、必要なものをきれいに届け、不要なものをきれいに出す、そんなお手伝いをしてくれる塩。それを使って昔ながらの製法で、自然の発酵の力に導かれるがままに丁寧に仕込まれた味噌や醤油。大地から太陽に向かって存分に伸びたサトウキビから作られたきび砂糖。オリーブとエゴマの油を絶妙にバランスしたオリーブしそ油。それらを中心に、今年も、共感し広げてくださる方々のお力もいただいて、皆様へお届けしつつ、時を過ごさせていただきました。たくさんの学びや経験で得たことも、まだまだお伝えしきれていません。食の根幹に関わる様々な問題、地球環境にも関わる問題、人の心に問いかけたいこと、あとからあとから出てきます。(その割には、最近の投稿はシゴトと関係ないことばかりw)身体に摂り入れる“土台”となるものから、心に感じる“根っこ”となることから、来年もまた、お伝えしていければいいなと思います。一朝一夕によくなることなんてないけれど、ひとつひとつの『心地よい』の“いま”の積み重ねが、必ず“未来”をつくると、信じています。惑わされることなく本質をみつめる力を培っていきたいし、しあわせの基準を、自分軸ではかっていきたいと思います。2023年、ありがとうございました。感謝と共に、来る年を迎えまた笑顔で、大好きなものたちを、皆様にお届けしていきたいと思います。来る年が皆様にとりまして、更にすこやかな佳き年となりますように。※添えた写真は、和〜nodoka〜の商品たちと、今年も開催した清水ひろたか×ミナクマリLIVE。2023年 年の瀬に和〜nodoka〜 かこ

ゲノム編集育種 愛媛の現状

柑橘王国・愛媛。温暖化によって、未来、栽培できる作物に変化が訪れるのではないかと危機感を抱く、というのは、私たちの食べるものを作ってくださっている農家さんから、聞かれる声の一つ。栽培について、もちろんそれによって生計を立てる方たちにとって、何をどのように収穫していくかは大切なこと。愛媛で、ゲノム編集育種の動きがあると知った。大変なことになってきた、、、恐怖しかない、、、という思いであるけれど、まず事実を知ることからだとおもうので、記録として。✴︎水産物や柑橘にゲノム編集を用いた育種・品種改良を進めているとのこと。「愛媛県農林水産試験研究推進計画」に謳われている。ゲノム編集技術活用を推進しないよう求めた請願書は、県議会で否決されたとのこと。政治をもってして、これを止めることは、今のところできてはいない。水産業、農業、畜産業、様々な分野で、これまでも品種改良が行われ、より美味しくとか気候に適したとか、(人間の都合ではあるけれど)技術的に食べ物を操作してきてはいる。手間と時間をかけた研究、自然と大きくかけ離れたならばうまくいかないなど、様々な困難を越え、今私たちが食すものもあるのだけど、、、ゲノム編集は、これまでの伝統的育種とは、大きく一線を画す、大変危険なものと、私は認識しています。本来それぞれが持っている「遺伝子」を操作する技術は、最も大切な大いなる何かを、激しく逸脱するものであり、ひとつのそれが、それではなくなる、、、異物と化す、と感じます。最も日本の国は、それを効率的育種方として農水省の旗振りのもと推進しているわけで。。。自然界におこる突然変異ではありませんから。人の手による不自然な操作が、私たちの、生き物の身体と心をつくる食の舞台に上がってくる、恐怖以外の何があるでしょう。。。『食の安全を守る人々』のドキュメンタリー映画の中に、大学でゲノム編集技術の研究に携わるシーンがありました。鯛の遺伝子操作。養殖鯛が、要はもっとふっくら大きくなれば一匹の鯛の価値があがる。魚の消費が減り収益減の養殖業者を救える、、、といった内容であったと記憶しています。食が満たされ、業者も養殖が楽になってWin-Win!っていう、、、。研究者としては、「正義」なのだな、と感じました。心の中でうなりました。ある一点においての正しさと、それが及ぼす計り知れない未来。各分野でそのような現実があり、これをマクロでみていくと、人間と自然界ひいては宇宙、、、の問題であるけれど。話が大きくなりすぎました。ゲノム編集一点に戻しましょう。遺伝子とはなんぞや。というと、私の苦手な分野にたどり着いてしまいますがw生きとし生けるもの全て、宇宙から与えられた自然に受け継がれた遺伝子の数や配列によってその形をつくられ、そのものとして成している、侵されるべからぬもの。操作、編集することで、いったい、なにが起こるのか。より大きくなったり、一時的にはより旨味を増したり、より強くなったり、するのかもしれない。それすらわからない。農薬に負けず作物が育つとか、ほんと意味不明。RNA干渉、Seed Production Technology、エピゲノム編集、それが何なのかわからない言葉が並ぶ、それがどこに使われようとしているか、というのが私たちの食べ物にということ。(もぅほんと、どういうこと??)愛知県では花卉にゲノム編集育種の研究がなされているというから、結局自然界のあらゆる方面にその恐怖は及ぶわけで。そんなものの花粉を例えば正常な虫たちがいただいたとして、その虫たちに異変は起こらないのだろうか、など、想像ふくらむばかりであるが、柑橘をゲノム編集育種しようとしている愛媛。いや、ちょっと待ってちょうだい。。誰が喜ぶのであろうか。誰が満たされるのであろうか。その代償は、未来にどのような影響を及ぼしていくのであろうか。知ることから、調べることから、問いかけ声をあげることを忘れてはいけないと、おもう。これまで、和〜nodoka〜として、調べたり講演やドキュメンタリー映画鑑賞などしても、なかなかこの点について文章化できていなかったのですが、会って伝えれる方にだけでなく、少しでもアウトプットしていきたいと思います。さて、この思いが、どれほど文章という形になるでしょうね。思いあふれたときに、形にしていきます。